2013年11月08日

11月8日 生の定義

 仙台にワークで出かけていたとき、岡山で大学へ行っているKoheiさんからメールが来た。すぐには返事が出来ない旨、伝えたのだが、
急がないので帰ってきたら返信を、とあり、「風邪ひかないように、頑張ってください。」とエールを送ってくれて嬉しかった。
 今日、催促のメールがあったので、返信したのだが、近代以降の文学作品のほとんどは、「生きること」がテーマになっている。古典文学なら
やはり「伊勢物語の芥川」かな、とオジサン。在原業平の若い頃の実話ともいわれる、この不思議な物語、彼は読んだだろうか?
 明日はちらし寿司を作ろうと思って、下ごしらえをするためAQUAへ来た。
一気に気温が下がってきて、来週は寒くなりそう。今、テレビでは島倉千代子さんの訃報を伝えている。75歳だとか。  合掌。  


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2013年11月08日

11月8日 母のこと

 2009年11月8日、早朝母が危篤状態にあると電話があった。熱海ちとせ病院という「じじばばの最期を看取る病院」との説明を受けた医療行為の出来る介護型施設から。3日前、伊東市民病院から意識のないまま介護タクシーで運ばれた母を訪ねたばかりの出来事だった。
 週に2回も新幹線に乗ることになって、同じ服装で、2回目はオジサンも一緒に喪服を持って出かけることになった。
母の脈はやがて測定不可となり、血圧も上がらなくなって、2度目の電話で「永眠されました。」と告げられた。
 日曜日、教会バザーの日だったので、教会へ寄って断り、そのまま駅へ。
 母は、丸亀に来ていた8ヶ月間の終わりごろ、「もう、教会へは行きたくない。」と私に言った。
耳が聞こえにくくなり、補聴器も雑音を拾って、不快だといい、当時、少年育成センターに勤めていた私が帰宅すると、洗面所や台所の水が
出しっぱなしになっていて、ザーザーと流れていた。きつく言ったつもりはないのだが、香川は水不足になることもあるような県なので、気を
付けてほしい、と注意した。後日、友人のAsakoさんから「弟の嫁さんが、母が水を出しっぱなしにして困る、と苦言をいわれ、いいじゃないの
水くらい、そんなことで母を責めないでほしいわ。」といわれたのを思い出し、私も寛大になって、母に小言を言わなければよかった、と後悔した。
 説教が聞き取れなかったり、教会婦人の独特な雰囲気の中で、母は居辛かったのだろう。私も、無理に母を誘わなかったが、毎週、母を留守番させて、礼拝へ出席していた。仕事も夜、家庭教師や塾講師へ出かけることも多く、母はいつも1人で大音量のテレビを付けて、長い1日を過ごしていて、もう、伊東へ帰るといって、寒くなる前だったか、暑くなる前だったか、東京へ送っていったのだが、そのまま香川へは来なくなってしまった。伊東で1人で暮らす、といって。
 8ヶ月は母の辛抱の限界だったのかもしれない。それからは、年に数回、私の方から会いに行くことにした。ちょうど、子どもが大学へ行っていたので、関東へ行く口実もあったのである。母は元のマンションで1人で暮らしてはいたが、だんだん、色々なことが出来にくくなっていった。
 ガス代や電気代がすごく多くてびっくりしたのだが、後にして思えば、ガスをつけたまま忘れて、お風呂を熱くしてしまったり、いくつもの焦げた鍋があったので、危険だったのだと思う。
 とうとう、民生委員の方や、地域包括支援センターの方が入って、母をグループホームに入居させては、と提案してくださった。幸い、母は喜んで
受け容れたので、伊豆高原での4年あまりの穏やかな生活が始まった。片付けに行ったマンションの台所には大量のマヨネーズや調味料があった。忘れて同じものを買い込んだようである。ほとんどのものを処分し、着替えをグループホームへ届けて香川へ戻った。

 充分なことをしてあげられなかったな、と今思う。母は、養母でありながら、私に無償の愛を与え続けてくれた。孫達にも気前よく学費や温かな
愛情を示して、いつも優しかった。
 今、カウンセリングの仕事を続けていて、一概には言えないのだが、母親が子どもの困難を理解し、寄り添って惜しみなく力を貸してくれる家庭は、解決の糸口が見つけやすいように感じる。子どもが頑なに親を拒んだり、親が他のきょうだいを尊重して困っている子どもを隅に追いやったりすると、解決に時間がかかったりする。たしかに親には親の人生があるのだが、もっと子どもの人格を尊重しないと、自分ばかりを愛する自己愛
の極端に強い、他者のことを考えられなくなるような人間性の欠落したいびつな人間になっていってしまうようで、怖い。

 母は90年あまり生きて、私や孫を温かく見守り続け、そして、父の傍で眠っている。小さな体の母だったが、偉大な存在だった。東京や横浜に
住んでいる母にとっては孫にあたる子ども達が、お盆には墓参を忘れなかったようである。菊のたくさん咲いている季節。仏壇には菊を絶やさないように飾っている。  


Posted by TEA.JAM.CREAM at 10:16Comments(0)日記