2010年08月31日
8月の薔薇、9月の薔薇
「心の教室便り」を作成するため、早めにAQUAへ来た。昨日は友人がたくさん来てくれて、遮光カーテンを閉め、クーラーをつけておしゃべりに夢中になっていたので、雨が降ったのも気付かなかった。
道路が濡れていて雨がかなり長い時間たっぷり降ったらしいことに気付くなんて。

カレンダーを1枚破いた。あるいは差し替えた。明日から9月。相変わらず気温が高くて、みんな元気に前期後半を迎えてくれたらいいのだが。
8月の赤い薔薇から、9月の黄色い薔薇へ。マルコ・ポーロという薔薇だそうだ。最終バーゲンをのぞくと欲しかった黄色いシャツが半額になっていた。
買おうか…来夏の暑い日のために

2010年08月30日
赤い金魚
昨日は、母の会に暑い中、3人のお母さんが来て、夏休みの様子や最近の出来事を話し合った。就職のことが話題になったが、やはり厳しいようだ。アルバイト探しさえままならない現状。正規雇用のチャンスはなかなかないようである。
その後、進路のことで久しぶりに来られたKaiちゃんのお母さんが、赤い金魚を2匹持ってきてくださった。
AQUAの金魚が黒ちゃん1匹になってしまったので、自宅の池にたくさん増えた小さな金魚を今度あげる、と言ってくれたのだが、さっそく持ってきてくださったのだ。


2010年08月29日
8月29日 箱根旅行記その5 成川美術館
昨夜は、中学校や小学校の先生、退職されて穏やかな気持ちで毎日過ごしています、という元教員だった方を含め8人で会を持った。
今週は前期後半も始まる。9月1日は給食もあるとか…ひとしきり、新しい給食センターシステムの話題に花が咲いた。
富山の実家に帰省されていた先生から〉いただいた平山郁夫さんの「黒部峡谷」の絵葉書をいただいた。下は箱根最終日に1箇所だけ行くことのできた「成川美術館」の玄関にあった石の写真。建物の中には平山氏の題字による美術館の看板もあった。
この美術館は景観がすばらしい。建物のティールームから芦ノ湖が一望できて、海賊船のような、芦ノ湖遊覧船や白鳥の形の小船も見える。この美術館で私は柳澤正人さんの絵に心打たれた。ナイアガラ瀑布や夕日の沈むフィレンツエ、どれもすばらしかった。絵葉書になってしまうと平凡だが100号くらいの大きな絵の前に立つと鳥肌が立った。
この美術館、地味だが、なかなかいい作品が展示されていてお勧め。日本画を観てほっとしたひとときだった。
2010年08月28日
8月28日 9人の食事
朝、学習会で静かにスタートしたAQUAだったが、1人増え、2人増え、お昼には9人になった。久しぶりに会ったKaiちゃんが大きくなっていてびっくり
身長が170センチ近くなっていて小さな顔がちょこんと乗っかっているといった感じである。
相変わらず元気で、2人一緒になると賑やかさも相乗効果で一段とヴォルテージが上がるKeito & Jin 君たち。
昨夜、一生懸命焼いたパンをお皿に山盛り用意したのだが、たくさん食べてもらえてよかった。
午後からは旧知の間柄のKai & Kyo君が独特の掛け合い漫才のような楽しそうな会話を楽しんでいたのが、印象的だった。
みんな、元気に9月が迎えられそうである。
Gさん親子は午後の電車で三原市へ帰って行った。洪水警報が出て、学校が休校になった日があったため30日から新学期が始まるそうである。
一回り大きな鉢に植え替えたバオバブ。暑いせいか、元気がない

相変わらず元気で、2人一緒になると賑やかさも相乗効果で一段とヴォルテージが上がるKeito & Jin 君たち。
昨夜、一生懸命焼いたパンをお皿に山盛り用意したのだが、たくさん食べてもらえてよかった。
午後からは旧知の間柄のKai & Kyo君が独特の掛け合い漫才のような楽しそうな会話を楽しんでいたのが、印象的だった。
みんな、元気に9月が迎えられそうである。

Gさん親子は午後の電車で三原市へ帰って行った。洪水警報が出て、学校が休校になった日があったため30日から新学期が始まるそうである。
一回り大きな鉢に植え替えたバオバブ。暑いせいか、元気がない

2010年08月28日
8月28日 箱根旅行記その4彫刻の森美術館
8月20日、彫刻の森美術館駅を降りると風が涼しい。気温29度はこんなにも心地よかったのか!
自販機のお茶を買う。ウーロン茶を一切飲まないオジサンは珍しくポカリスェットを。私は静岡茶。修学旅行の引率で何回か来たことのあるらしく、よく知っている。私はヘンリー・ムーアが好きなので常設会場へまず入った。後は、オープンエアの広い起伏のある土地に点々と置かれているブロンズ像やオブジェを見てまわる。
ピカソ館は特別、人気があるらしいがこの方も、昨日見たサン・テグジュぺリと同様、家庭的には必ずしも円満な形態のそれを維持できなかったようだ。
結婚指輪を交換するときの「円なること、そのどこをもってしても欠けることなし」という風にはいかないのだろう。
私はピカソの藝術性があまりよく理解できない。好ましいものもあれば、ゥ~~ん
というのもある。



自販機のお茶を買う。ウーロン茶を一切飲まないオジサンは珍しくポカリスェットを。私は静岡茶。修学旅行の引率で何回か来たことのあるらしく、よく知っている。私はヘンリー・ムーアが好きなので常設会場へまず入った。後は、オープンエアの広い起伏のある土地に点々と置かれているブロンズ像やオブジェを見てまわる。
ピカソ館は特別、人気があるらしいがこの方も、昨日見たサン・テグジュぺリと同様、家庭的には必ずしも円満な形態のそれを維持できなかったようだ。
結婚指輪を交換するときの「円なること、そのどこをもってしても欠けることなし」という風にはいかないのだろう。
私はピカソの藝術性があまりよく理解できない。好ましいものもあれば、ゥ~~ん

2010年08月27日
8月27日 コロンの引越し
たぶん、上京する前の8月4日ごろだと思う。コロンを郡家の自宅へ連れて帰ったのは。
それから約3週間、家の居間の台の上で仮暮らしとなったコロン。餌もよく食べるし、5日ほど留守をしたときも思ったほど水槽の水も濁らなくて大きな石とレンガだけの家具にも慣れたようだった。
一回り大きな植木鉢(長方形)を紐で吊ってもらって時々下に入っている。さっき、AQUAへ連れてきたのだが、あまり暴れていない。なんだか、こちらの方が落ち着くのかも。赤耳ガメのコロン。信号の音や車の音を聞きながら育ったせいか、懐かしいのかもしれない。
2010年08月26日
8月26日 箱根旅行記その3
濃い青色の山紫陽花。小田急線沿線の山の駅にどこにも咲いている。19日夜は、4年ぶりに集った大学の同期生が明け方まで語り合った。3部屋続きで予約した部屋の1番端っこでTakakoさんと私は2時ごろ横になったのだが、ミーティングをしていた部屋は4時半まで起きていたらしい。まん中の部屋で休んだオジサンは朝、温泉に浸かってさっぱりしたと言っていた。
新潟出身のB氏は静岡で。東京出身のF氏は新潟で教員生活を送られてこられた。香川出身のオジサン、東京出身の私。全国から集るのに箱根はちょうどいいところだった。2年後には新潟で集ることになった。千葉や神奈川からもみんな行くだろう。
健康にもうちょっと気をつけなくては…元気で参加するためにも。
大和市で市民活動をライフワークにされているK氏はもっと市民運動を活発化させなければ、と熱く語っておられた。幹事を引き受けてくださったH氏は3年前に他界されたT氏の追悼文集の作成を提案されていた。
もちろん、異存のあるはずもなく、どのような形で作るかが話題になった。きっといいのが出来上がると思う。
20日朝、箱根湯本駅でみなさんと別れて、小田急線で彫刻の森美術館へ向かった。スィッチバック式の電車、急勾配の山道を登っていくのが、醍醐味がある。駅で撮った写真。宮の下と小涌谷。標高500メートル以上だろうか?風が涼しかった。
2010年08月25日
8月25日 箱根旅行記その2
サン・テグジュペリの生涯は砂漠で終わっている。孤独な航空郵便基地での仕事の中で出遭った砂漠の動物達や植物、星、彼の想像の世界の中でそれらが人間の生き方と結びついて哲学となって表現されていく。
「星の王子様」の「絵本」をもらったのは17歳の誕生日だったが、その後も様々な人と話題にしたし、登場人物や生き物に親近感を抱くことで、常に傍にある存在だった。
1度行ってみたかったミュージアムへゆっくり行くことができて嬉しかった。香川よりは幾分涼しい箱根で、秋の初めの風も体感。もう1度、物語も開いてみよう。
夕方、送ってもらった「箱根湯本・南風荘」川のせせらぎが聞こえ、いかにも温泉地といった感じの旅館で、髪の少なくなった先輩達が、すでに酒盛りを始めていた。、私たちが1番遅い到着だったので、温泉で汗を流してすぐ、宴会場へ移動した。
集合写真を撮って近況報告や、歓談が始まった。オジサンの同級生たちなので、67~68歳。教員として」生涯の大半を教育現場で過ごした仲間が、4人。出産後、小学校教員を辞めたTakakoさんや産休育休代替講師をしていた私や、途中で退職して老人のデイサービスの施設を運営しているMasatoさんも入れると出版社勤務の長かったTeruo意外はみんな教員の世界に身を置いたことがある人ばかりだった。
温厚で、辛抱強いはずである。髪も薄くなったり白くなったりするはずだわ、と密かに思った。
2010年08月23日
8月23日 某 公園
15日午後位から、少し具合が悪かった。旅行をやめたくない気持ちと、オジサンとの同行への不安をブログに書いたように思う。私が楽しみにしていた美術館巡り、おそらく行ってもらえないだろうと不安が募っていた。
16日、ジパングの帰りの新幹線の乗車券を購入に行ったり、団扇を買いに行ったり…この日も暑かった。
17日、朝からパンを焼いたり、片付けをしたり。間で高校野球を見たり。何となく下腹部が重い。残尿感がある。
水分を摂り、何回もトイレに行く。夜行バスは最前列。足の方が冷えるので、ソックスを履き、ひざ掛けを使い冷房対策に努める。しかし、一睡もできない。とうとう、オジサンに具合がよくないことを伝える。
子どもにメール。病院を探してもらう。1番近い総合病院へ行くことに。7時半に横浜について朝食を取り、9時前には病院へ行ったのだが、終わったのは11時過ぎ。
その間、オジサンは庭の草抜き。シャワーを浴びて、すっきりした顔で帰宅を待っていてくれた。美味しいイタリアンのお店でランチ。原因が分かり、もらった薬をすぐ飲んだので気持ちは落ち着いたが、そうすぐには治らない。
友人3人にメールをした。変換して出てきたのが「某公園」…

少し昼寝をして、食材の買物へ。秋刀魚を使った餃子を50個近く作り、アボガドのサラダや枝豆、豆乳のサラダや野菜の味噌汁、そしてよく冷えたビールをいただく頃には症状もかなり治まって熟睡した。
翌日はゆっくり朝食を摂って、昼前に西湘バイパスを通って箱根へ。
「星の王子様ミュージアム」へ一緒に行った。おいしいランチをいただいて同窓会会場へ送ってもらい別れた。
治ってよかった。6・7・8月と毎月新幹線や飛行機や夜行バスを使っての移動。冷房や水分の摂取制限やトイレ我慢が続いたせいだ、とドクターにいわれた。
2010年08月22日
8月22日 箱根旅行記その1
紫陽花はピンポン玉大の蕾が弾けて咲くのを昨年見た。
高台にある伊東市民病院に母を見舞ったときに。川のせせらぎに沿って生えている山紫陽花の群生が開き始めたのを見て驚いたものである。香川の庭に咲いている紫陽花は葉と葉の付け根に隠れるようにしていきなり小さな蕾群が見える。
しかも、母を見舞ったのは9月か10月初め。香川では7月には紫陽花は向日葵に場を譲って咲き終わるのだから。
8月も半ばを過ぎていっこうに衰えを見せない猛暑の中、横浜・箱根へ4泊5日の旅行へ行った。(夜行バス車中泊含む)体調が悪く、いきなり横浜へ着いてすぐ、総合病院へ検査を受けに行かなければならなかったのだが…
とにかく、19・20日に行われた同窓会へは無事参加できて、紫陽花が咲き残っている標高600メートルの箱根の山中で涼しい朝を迎え、20日にはみなさんと別れ、彫刻の森美術館と成川美術館での芸術鑑賞を楽しめた。
19日は子ども夫婦が横浜から箱根まで同行してくれて、星の王子さまミュージアムへ行き、美味しいランチも食べた。
紫陽花と箱根の緑豊かな自然、川の水音、柳沢正人さんの絵画との出会いなどを通して感じたこと、体験してきたことを綴ってみたい。
2010年08月17日
8月17日 室温40度!

20分後、室温が35度まで下がった。私の育った東京都練馬区で今日の最高気温が38,2度まで上がったとニュースで云っていた。この暑さ、いつまで続くのだろう。
家へ持って帰ったバオバブの苗木。4日間萎れずに持ちこたえてくれるだろうか?
夜行バスの中の冷房対策と、旅行移動中の暑さ対策と。荷物が膨らんで重くなってしまった。もっとも、半分は食糧なのだが

横浜の子どもに食べさせたくて、持ってきたものや、箱根の宴席に持っていくすだちやままかりの酢漬け、あれもこれもと詰めて準備したり、何を着ようかと考えているときから、女の人の旅行は始まるのだが、オジサンには理解できないのだろう、だんだん不機嫌になっていくのが、わかる。
昨夜も口をきかないまま時間が過ぎていって、今朝は気まずさを引きずって…前日、喧嘩したままの友だちとの明くる日の教室みたいだった。道中が思いやられるな。

2010年08月16日
8月16日 7センチの向日葵
文章が中途半端になってしまったが、直系7センチの向日葵がやっと咲いた。嬉しかったので写メに撮って大きく載せた。健気にも1本だけ、1輪だけの花に心打たれたのである。その子、その子のスピードで成長していく個性を持った子どもの姿に重ねあわせて。
2010年08月16日
8月16日 お土産はやっぱり団扇かな
rた。
背丈もさほど大きくなくて、でも、やはり嬉しい。
今朝はもりんへ紅茶クッキーを買いに行ったり、駅へ切符を買いに行ったり、忙しかった。暑い中の旅行のお土産は食べるものより、安全で無難な団扇にした。
渋団扇は、涼をとるものではない、とオジサン。丸い柄の布張りのものにした。喜んでもらえるといいのだが。
2010年08月15日
8月15日 納涼花火大会
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午前の学習会を終え、久しぶりに訪ねてくれたRyoukoさん母子やKeikoさんとカレーを食べながら、歓談。
4時には高松から真っ黒に日焼けしたSouta & Momo famiry が、墓参に来たのだが、家にも入らず父子でキャッチボールを始めた。みるみるうちにシャツの背中の色が変わって。
お母さんはシャツの替えを持ってこなかったことを後悔することしきり。
昔、子どもが着ていたTシャツがあったので着替えさせることにした。背中にマーチングバンドのロゴが入っていて懐かしい。香川県で国民総合体育大会があったときの4年生頃に着ていたもの。3年生のSoutaにぴったりである。
中学校のときに着ていた体操着の半パンも出してきたのだが、こちらは履き替えなかった。

本家へもお墓へもお参りをして、カレー(私はこの日2回目)を食べて、北海道から送られてきたメロンも食べていよいよ花火。
畑は打ち上げ花火をセットするのに好都合だし、大きな花火もできる。最後に線香花火をしておわり。帰り道、いくらも走らないうちにMomoは爆睡してしまった。
2010年08月14日
2010年08月14日
8月14日 お盆休み
東雲君からメールが来た。昨夜のことだった。お墓参りへ行くので学習会休みます、という内容である。
代替を連絡してくるよう返信して、Keikoさんへも連絡。日曜日に来てもらうことに。一件落着である。
しかし、「りょーかい」という東雲君からの返信に切れた。違うだろう!
「お願いします」とか「すみません」の一言があってもいいのに、と。
いつもだったら心内語で済ますのだが、珍しくそれは違うという嗜めメールを送ってしまった。あとで言い過ぎたかなと反省したが、長い付き合いである。わかってくれるだろう。自分で気付いてくれることが望ましいのだが、たとえメールでも礼を欠いてはいけない、と思う。
今朝、テレビで墓参へお盆休みに行くか、という質問に、都会の人はあまり行かない、墓地が遠い、とか、多忙であるとか…理由は様々だが、ここにも関係の希薄さを感じさせられる。
うちは、お墓が敷地内にあるので、毎日、掃除をしている義妹の姿があり、供花があり、さっぱりとしている。
今日は子どもの家族が午後から来る予定である。お盆休み。貴重な時間を使っての里帰りである。
亡くなった母の新盆。大阪で購入した岐阜提灯を置き、百合の花を切ってきて仏前に供えた。
代替を連絡してくるよう返信して、Keikoさんへも連絡。日曜日に来てもらうことに。一件落着である。
しかし、「りょーかい」という東雲君からの返信に切れた。違うだろう!

いつもだったら心内語で済ますのだが、珍しくそれは違うという嗜めメールを送ってしまった。あとで言い過ぎたかなと反省したが、長い付き合いである。わかってくれるだろう。自分で気付いてくれることが望ましいのだが、たとえメールでも礼を欠いてはいけない、と思う。
今朝、テレビで墓参へお盆休みに行くか、という質問に、都会の人はあまり行かない、墓地が遠い、とか、多忙であるとか…理由は様々だが、ここにも関係の希薄さを感じさせられる。
うちは、お墓が敷地内にあるので、毎日、掃除をしている義妹の姿があり、供花があり、さっぱりとしている。
今日は子どもの家族が午後から来る予定である。お盆休み。貴重な時間を使っての里帰りである。
亡くなった母の新盆。大阪で購入した岐阜提灯を置き、百合の花を切ってきて仏前に供えた。
2010年08月14日
8月14日 お盆休み
東雲君からメールが来た。昨夜のことだった。お墓参りへ行くので学習会休みます、という内容である。
代替を連絡してくるよう返信して、Keikoさんへも連絡。日曜日に来てもらうことに。一件落着である。
しかし、「りょーかい」という東雲君からの返信に切れた。違うだろう!
「お願いします」とか「すみません」の一言があってもいいのに、と。
いつもだったら心内語で済ますのだが、珍しくそれは違うという嗜めメールを送ってしまった。あとで言い過ぎたかなと反省したが、長い付き合いである。わかってくれるだろう。自分で気付いてくれることが望ましいのだが、たとえメールでも礼を欠いてはいけない、と思う。
今朝、テレビで墓参へお盆休みに行くか、という質問に、都会の人はあまり行かない、墓地が遠い、とか、多忙であるとか…理由は様々だが、ここにも関係の希薄さを感じさせられる。
うちは、お墓が敷地内にあるので、毎日、掃除をしている義妹の姿があり、供花があり、さっぱりとしている。
今日は子どもの家族が午後から来る予定である。お盆休み。貴重な時間を使っての里帰りである。
亡くなった母の新盆。大阪で購入した岐阜提灯を置き、百合の花を切ってきて仏前に供えた。
代替を連絡してくるよう返信して、Keikoさんへも連絡。日曜日に来てもらうことに。一件落着である。
しかし、「りょーかい」という東雲君からの返信に切れた。違うだろう!

いつもだったら心内語で済ますのだが、珍しくそれは違うという嗜めメールを送ってしまった。あとで言い過ぎたかなと反省したが、長い付き合いである。わかってくれるだろう。自分で気付いてくれることが望ましいのだが、たとえメールでも礼を欠いてはいけない、と思う。
今朝、テレビで墓参へお盆休みに行くか、という質問に、都会の人はあまり行かない、墓地が遠い、とか、多忙であるとか…理由は様々だが、ここにも関係の希薄さを感じさせられる。
うちは、お墓が敷地内にあるので、毎日、掃除をしている義妹の姿があり、供花があり、さっぱりとしている。
今日は子どもの家族が午後から来る予定である。お盆休み。貴重な時間を使っての里帰りである。
亡くなった母の新盆。大阪で購入した岐阜提灯を置き、百合の花を切ってきて仏前に供えた。
2010年08月14日
8月14日 お盆休み
東雲君からメールが来た。昨夜のことだった。お墓参りへ行くので学習会休みます、という内容である。
代替を連絡してくるよう返信して、Keikoさんへも連絡。日曜日に来てもらうことに。一件落着である。
しかし、「りょーかい」という東雲君からの返信に切れた。違うだろう!
「お願いします」とか「すみません」の一言があってもいいのに、と。
いつもだったら心内語で済ますのだが、珍しくそれは違うという嗜めメールを送ってしまった。あとで言い過ぎたかなと反省したが、長い付き合いである。わかってくれるだろう。自分で気付いてくれることが望ましいのだが、たとえメールでも礼を欠いてはいけない、と思う。
今朝、テレビで墓参へお盆休みに行くか、という質問に、都会の人はあまり行かない、墓地が遠い、とか、多忙であるとか…理由は様々だが、ここにも関係の希薄さを感じさせられる。
うちは、お墓が敷地内にあるので、毎日、掃除をしている義妹の姿があり、供花があり、さっぱりとしている。
今日は子どもの家族が午後から来る予定である。お盆休み。貴重な時間を使っての里帰りである。
亡くなった母の新盆。大阪で購入した岐阜提灯を置き、百合の花を切ってきて仏前に供えた。
代替を連絡してくるよう返信して、Keikoさんへも連絡。日曜日に来てもらうことに。一件落着である。
しかし、「りょーかい」という東雲君からの返信に切れた。違うだろう!

いつもだったら心内語で済ますのだが、珍しくそれは違うという嗜めメールを送ってしまった。あとで言い過ぎたかなと反省したが、長い付き合いである。わかってくれるだろう。自分で気付いてくれることが望ましいのだが、たとえメールでも礼を欠いてはいけない、と思う。
今朝、テレビで墓参へお盆休みに行くか、という質問に、都会の人はあまり行かない、墓地が遠い、とか、多忙であるとか…理由は様々だが、ここにも関係の希薄さを感じさせられる。
うちは、お墓が敷地内にあるので、毎日、掃除をしている義妹の姿があり、供花があり、さっぱりとしている。
今日は子どもの家族が午後から来る予定である。お盆休み。貴重な時間を使っての里帰りである。
亡くなった母の新盆。大阪で購入した岐阜提灯を置き、百合の花を切ってきて仏前に供えた。
2010年08月13日
8月13日 久しぶりに田村池の白鳥に遭遇
汗疹が治ったので、久しぶりに夕方の田村池へ。時間は5時半。オジサンは3枚目の障子張りをしている。
涼しいスーパーで買物をして帰ってきたので、その勢いで着替えて思い切って出かけた。
高温続きで稲の生育も順調らしい。
池の上で2羽の白鳥が寄ってきてくれた。嘴の色から子ども白鳥の方ではないかと思う。
至近距離でパチリ

晩御飯は残りご飯で久しぶりにオムライスを作った。熱い味噌汁も美味しかった。2枚の窓ガラスの障子張替えとふすま障子4枚を張替え終えてお疲れのオジサン。水割りを飲んで爆睡していた。