2021年08月21日
守られていたルーティーン
昨夜、法政大学の仲間へ「祭壇を作り変えました。」といって写真を送ったら、かつての仲間の

昨日、Kazuya君がきれいに抜いてくれたゴーヤの植えてあった場所。
来年は肥料を撒いて実を付けさせたい。今年は収穫ゼロだった。

1人の方から「西鶴の永代蔵がないぞ。」というメールが来て、さらに
「広末保先生は、その生前、『私は毎年、年の暮れから年の明けまで西鶴を読みます』と仰った
そうですが、その伝説的な言辞を、おそらくT氏から伝授されていたT君(夫のこと)が、いつだっ
たか私にも伝えてくれていました。生々しい衝撃的な言葉でした。」 以下略・・・
と書かれていて、衝動的に「置いています。写真アップします。」と返信してしまった。
小さな写メである。しかも他の本と重ねてあり、電子辞書も乗っていたので、判別できなくて当然
なのだが。
涙が流れてそれは、嬉しい「間違い、見落とし」でもあったのだが。
確かに夫は「行く年来る年」が始まる前になると、部屋へ引きこもって定本西鶴全集を
開いていた。昨年暮れ、私は内科クリニックへこの本を届けた。
棺に入れようかとも思ったのだが、躊躇って入れずに今、置時計やシェーバーと一緒に
供えてある。
「ルーティン」という言葉の使い方がスポーツに特定されないのならば、確かにそれは彼に
とって忘れずに続けていた年末から年始にかけての「儀式」だったと思う。
そして、電子辞書には小さなトンボ(勝ち虫、後ろへ下がらない)と阪神タイガースのシールが
貼ってある。こういう茶目っ気が大好きだったのだが・・・
さらに,なかにし礼氏の最後の単行本は「いいの見つけたねえ!」といって持参した時にほめて
くれた本なのである。
Fさんの指摘、本当に嬉しかった。これは子どもの誰にも渡さない!私への形見だと思っている。

昨日、Kazuya君がきれいに抜いてくれたゴーヤの植えてあった場所。
来年は肥料を撒いて実を付けさせたい。今年は収穫ゼロだった。

Posted by TEA.JAM.CREAM at 08:07│Comments(0)
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