2023年03月26日
楽しかったミニ同窓会
30代半ばで初めて教壇に立った。33歳だったかな。
長子が小学校4年生、次子が1年生、、、、まだ第4子は影も形もない頃。
それから18年間、小学校や中学校の講師として勤務しながら子ども達が大学へ行く学費
を捻出するため、学校勤務の忙しい毎日だった。7時半頃学校へ行き、7時前に帰宅する毎日。
その一番初めの勤務校の一番初めの教え子達が来てくれた。
下拵えをしている時にKouji君がブロッコリーをたくさん持って来てくれたので、教会バザー
や友人へわけてあげたり、本家へ持って行ったり、みんなに喜ばれた。
そして、新じゃがのコロッケも炊き込みご飯もおいしいといって、たくさん食べてくれて嬉しかった。
福岡から帰省していたS君は1人暮らしのお母さんを心配して再々帰省している頼もしい
長男に成長していた。
今週は4月から来られる牧師さんの来県やファンクラブの集まりがある。忙しくなりそうだが
春らしい季節になって、毎日服装選びも楽しんでいる。
今朝はいくつ花が咲いたかな、と庭や畑を見回る楽しみも増えている。
今日の雨もまさに催花雨である。

今日の講壇の花

2人とも車で来たので、私が少しだけ司牡丹を味わって飲みました。
長子が小学校4年生、次子が1年生、、、、まだ第4子は影も形もない頃。
それから18年間、小学校や中学校の講師として勤務しながら子ども達が大学へ行く学費
を捻出するため、学校勤務の忙しい毎日だった。7時半頃学校へ行き、7時前に帰宅する毎日。
その一番初めの勤務校の一番初めの教え子達が来てくれた。
下拵えをしている時にKouji君がブロッコリーをたくさん持って来てくれたので、教会バザー
や友人へわけてあげたり、本家へ持って行ったり、みんなに喜ばれた。
そして、新じゃがのコロッケも炊き込みご飯もおいしいといって、たくさん食べてくれて嬉しかった。
福岡から帰省していたS君は1人暮らしのお母さんを心配して再々帰省している頼もしい
長男に成長していた。
今週は4月から来られる牧師さんの来県やファンクラブの集まりがある。忙しくなりそうだが
春らしい季節になって、毎日服装選びも楽しんでいる。
今朝はいくつ花が咲いたかな、と庭や畑を見回る楽しみも増えている。
今日の雨もまさに催花雨である。

今日の講壇の花

2人とも車で来たので、私が少しだけ司牡丹を味わって飲みました。
2023年03月26日
猫の戦争
時計を見たら3時半。
外の猫の声があまりにすさまじいので、目が覚めた。もう少し早い時間、多分1時過ぎ位
から喧嘩(?)していたような・・・懐中電灯をつけて、傘をさして様子を見に行った。
家の東の方から声が聞こえる。
暫く起きていたのだが、やがて静かになったのでもう少し眠ろうと電気を消した。
目が覚めたのは8時半だった。
「題名のない音楽会」を見そびれてしまった。猫のせいにするのは大人気ないが、昨日も
T君の運転で高松まで行ったので、その疲れもあったのだろう。
午後からのドライブだったので、英明の試合8回表ぐらいまで、見ながら行ったのだが。
帰りには9対8で惜敗の結果を知って、何とも悔しい気持ちでいっぱいだった。
今朝はコロッケとヒレカツ、春菊の白和えと炊き込みご飯などの下拵えと久しぶりに
バターロールも焼いている。
何しろ久しぶりの来客なので、再会が楽しみである。
そして、間で目を通した新聞記事、辛口批評で30年間、密かにファンだったテレビ番組の
ライター・島崎今日子さんの最後の記事を読んだ。私も毎週楽しみに視聴していた「リバーサルオーケストラ」の感想。
3月はこういう別れもあるのだな、と。島崎さん、長い間ご苦労様でした。
外の猫の声があまりにすさまじいので、目が覚めた。もう少し早い時間、多分1時過ぎ位
から喧嘩(?)していたような・・・懐中電灯をつけて、傘をさして様子を見に行った。
家の東の方から声が聞こえる。
暫く起きていたのだが、やがて静かになったのでもう少し眠ろうと電気を消した。
目が覚めたのは8時半だった。
「題名のない音楽会」を見そびれてしまった。猫のせいにするのは大人気ないが、昨日も
T君の運転で高松まで行ったので、その疲れもあったのだろう。
午後からのドライブだったので、英明の試合8回表ぐらいまで、見ながら行ったのだが。
帰りには9対8で惜敗の結果を知って、何とも悔しい気持ちでいっぱいだった。
今朝はコロッケとヒレカツ、春菊の白和えと炊き込みご飯などの下拵えと久しぶりに
バターロールも焼いている。
何しろ久しぶりの来客なので、再会が楽しみである。
そして、間で目を通した新聞記事、辛口批評で30年間、密かにファンだったテレビ番組の
ライター・島崎今日子さんの最後の記事を読んだ。私も毎週楽しみに視聴していた「リバーサルオーケストラ」の感想。
3月はこういう別れもあるのだな、と。島崎さん、長い間ご苦労様でした。