2013年10月27日
10月27日 台風一過・仙台スローワーク報告①
26日土曜日、無事に仙台から香川へ帰った。
といっても、岡山へ着く寸前、車内放送があって、四国内の列車の運行状況は、駅係員に聞いてください、とのこと
何と不親切な、と思ったが、オジサンからのメールで、警報が出ていたことや、四国内のJRが運休しているらしい、という情報はあったが。
岡山駅へ降りて、在来線の改札口へ行くと、人だかりが・・やはり特急は動いていない。が、マリンライナーと観音寺までの各駅停車は
動いているらしい。携帯電話を持たないオジサンにどうやって連絡しようか、と困った。
マリンライナーには何とか乗れて、発車しない内に公衆電話からの着信。宇多津駅に着いたらしい。事情を話して坂出駅へ来てもらうことに。
東北・東海道・山陽新幹線は定刻で運行されていたのだが、窓外の大きな川はどこも水嵩が増して不気味だった。
21日~25日の5日間、1度も太陽を見なかった。特に困ったのは徒歩での銭湯の往復である。人口110万(タクシー運転手さん談)の
政令都市、仙台は片側2車線のところも多く、車の交通量もスピードも丸亀よりは数段上である。歩行者も多く、そこここに「楽天初優勝!」
のセールのポスターが貼られている。そんな中を、雨の夜、自転車で走るのは危険、と感じて歩いてお風呂へ入りに行ったのである。
「四国・エマオへの道」を通してキッチンボランティアとして2人で出かけたのだが、青葉荘教会の和室は広く、清潔で泊まるのには
恵まれていた。施錠しないまま、隣の教区センターで活動するので、これぞまさしく教会なのだ、と感心した。
21日。仙台は小雨が降っていて、さほど寒くはなかった。スタッフは14日~21日が休みとあって、いらっしゃらなかったが、後の
ミーティングで、その間に北海道で、群馬県安中で、と広報活動や講演をされていたとのこと。また、エマオが閉じている間、南三陸や
石巻でワークをされていた青年もいたようだった。
夕食は各自で、とのことだったので、Shihokoさんと2人、仙台の街を雨に濡れながら探検。エマオを出て、すぐお風呂屋さんを探して地図
とにらめっこをしていると、通りがかりの道を尋ねたご婦人が途中まで、道案内してくださった。この夜はもう1人、親切な方にお風呂屋さん
まで案内していただくことになり、「仙台の人はみんな親切」という強い印象を持った。
かなり歩いて、お腹もすいてきたので、食事をするところを探す。迷ったが、結局「牛タン定食」を食べることに。それほど、美味しいものでも
なかったように思う。同じ金額を出して食べるなら、他のものを食べる、と仙台育ちのスタッフは言っていた。「地元の人は食べませんよ。」と。
22日。朝のミーティングでその日のメンバーとワークの内容、自己紹介が行われ、その前に手続きの書類を作成した。それから、諸注意
を受け、すでに、ラジオ体操を一緒にするため、一足先に出発した人以外と初顔合わせ。
月1回の「お弁当プロジェクト」の予定の日だったので、参加させていただく。ついていた、と密かに思った。仙台市内の色々な教会から
集ってこられた方達と「ワリコ飯ときのこ汁」の献立の50食近いお弁当をパックに詰めていく作業をした。
遠くからいらしたんですね、と声をかけられ、高松出身の方もいらして、すぐ打ち解ける。
たくさんの方が仮設住宅で待っていてくださって、一緒に昼食をいただくと、四方山話の輪の中に入れていただいた。印象的だったのは、
夜、眠るときは真っ暗がいいか、明るいほうが落ち着くか、の議論(?)で、明るいとすぐ目が覚めてしまうという方がいるかと思えば、懐中電灯
を上へ向けてやすむ、電気は信用できないというかたもいらして興味深かった。
大きなバンで、14キロの道のりをエマオへ帰り、青葉荘教会のMatumotoさんからパイプオルガンの構造を教えていただき、賛詠を弾かせて
いただき、感激した。パイプオルガンは白鍵盤と黒鍵盤が逆なので、間違えながら、何とか頑張って弾くことが出来た。
夕食は10人分でいい、といわれて7合のご飯と豚汁、サラダ、きんぴらごぼうを作ったのだが、飛び入り参加もあってご飯が少し足りなかった。
人数が読めないね、とShihokoさんと言い合って、明日からは多めに炊こう、と話し合った。
昨夜と違う銭湯を探して雨の中、出かけたのだが、行き過ぎてしまい、銭湯が見つからなくて、タクシーで昨夜行った銭湯へ引き返すことに。帰りもタクシーを使ったので、1人1000円也のタクシー代を使ってしまった。
2日目も雨。香川もぐずついた空模様だったらしい。
といっても、岡山へ着く寸前、車内放送があって、四国内の列車の運行状況は、駅係員に聞いてください、とのこと

何と不親切な、と思ったが、オジサンからのメールで、警報が出ていたことや、四国内のJRが運休しているらしい、という情報はあったが。
岡山駅へ降りて、在来線の改札口へ行くと、人だかりが・・やはり特急は動いていない。が、マリンライナーと観音寺までの各駅停車は
動いているらしい。携帯電話を持たないオジサンにどうやって連絡しようか、と困った。
マリンライナーには何とか乗れて、発車しない内に公衆電話からの着信。宇多津駅に着いたらしい。事情を話して坂出駅へ来てもらうことに。
東北・東海道・山陽新幹線は定刻で運行されていたのだが、窓外の大きな川はどこも水嵩が増して不気味だった。
21日~25日の5日間、1度も太陽を見なかった。特に困ったのは徒歩での銭湯の往復である。人口110万(タクシー運転手さん談)の
政令都市、仙台は片側2車線のところも多く、車の交通量もスピードも丸亀よりは数段上である。歩行者も多く、そこここに「楽天初優勝!」
のセールのポスターが貼られている。そんな中を、雨の夜、自転車で走るのは危険、と感じて歩いてお風呂へ入りに行ったのである。
「四国・エマオへの道」を通してキッチンボランティアとして2人で出かけたのだが、青葉荘教会の和室は広く、清潔で泊まるのには
恵まれていた。施錠しないまま、隣の教区センターで活動するので、これぞまさしく教会なのだ、と感心した。
21日。仙台は小雨が降っていて、さほど寒くはなかった。スタッフは14日~21日が休みとあって、いらっしゃらなかったが、後の
ミーティングで、その間に北海道で、群馬県安中で、と広報活動や講演をされていたとのこと。また、エマオが閉じている間、南三陸や
石巻でワークをされていた青年もいたようだった。
夕食は各自で、とのことだったので、Shihokoさんと2人、仙台の街を雨に濡れながら探検。エマオを出て、すぐお風呂屋さんを探して地図
とにらめっこをしていると、通りがかりの道を尋ねたご婦人が途中まで、道案内してくださった。この夜はもう1人、親切な方にお風呂屋さん
まで案内していただくことになり、「仙台の人はみんな親切」という強い印象を持った。
かなり歩いて、お腹もすいてきたので、食事をするところを探す。迷ったが、結局「牛タン定食」を食べることに。それほど、美味しいものでも
なかったように思う。同じ金額を出して食べるなら、他のものを食べる、と仙台育ちのスタッフは言っていた。「地元の人は食べませんよ。」と。
22日。朝のミーティングでその日のメンバーとワークの内容、自己紹介が行われ、その前に手続きの書類を作成した。それから、諸注意
を受け、すでに、ラジオ体操を一緒にするため、一足先に出発した人以外と初顔合わせ。
月1回の「お弁当プロジェクト」の予定の日だったので、参加させていただく。ついていた、と密かに思った。仙台市内の色々な教会から
集ってこられた方達と「ワリコ飯ときのこ汁」の献立の50食近いお弁当をパックに詰めていく作業をした。
遠くからいらしたんですね、と声をかけられ、高松出身の方もいらして、すぐ打ち解ける。
たくさんの方が仮設住宅で待っていてくださって、一緒に昼食をいただくと、四方山話の輪の中に入れていただいた。印象的だったのは、
夜、眠るときは真っ暗がいいか、明るいほうが落ち着くか、の議論(?)で、明るいとすぐ目が覚めてしまうという方がいるかと思えば、懐中電灯
を上へ向けてやすむ、電気は信用できないというかたもいらして興味深かった。
大きなバンで、14キロの道のりをエマオへ帰り、青葉荘教会のMatumotoさんからパイプオルガンの構造を教えていただき、賛詠を弾かせて
いただき、感激した。パイプオルガンは白鍵盤と黒鍵盤が逆なので、間違えながら、何とか頑張って弾くことが出来た。
夕食は10人分でいい、といわれて7合のご飯と豚汁、サラダ、きんぴらごぼうを作ったのだが、飛び入り参加もあってご飯が少し足りなかった。
人数が読めないね、とShihokoさんと言い合って、明日からは多めに炊こう、と話し合った。
昨夜と違う銭湯を探して雨の中、出かけたのだが、行き過ぎてしまい、銭湯が見つからなくて、タクシーで昨夜行った銭湯へ引き返すことに。帰りもタクシーを使ったので、1人1000円也のタクシー代を使ってしまった。

2日目も雨。香川もぐずついた空模様だったらしい。