2009年03月27日
3月27日 伊豆高原の嵐
一晩、自分の家に戻って熟睡をたっぷり…と言いたいところだが、昨夜もかなり風が強くなかなか寝付けなかった。
おまけに何の連絡もなく、待てど暮らせどおじさんが帰宅せず。送別会に出席するといって夕方留守電があったきりで中途半端な態勢で待つことに。
2時までは階下で転寝をしていたのだが、2階へ。門扉の開く音を聞いたような…今朝、隣にいたのでたぶん明け方帰宅したのだろう。以前も喧嘩の仲裁をしていて、帰りそびれビジネスホテルに泊まってきたなんてこともあったっけ。
3年ぶりに二人揃って母のいるグループホームを訪ねたが、22日は四国も悪天候だったとか。伊豆高原も嵐で、昼からは吹きなぐりの暴風雨で一歩も外へ出られず、野球を観たり、相撲を見たりして部屋から出ることもなく、母はこうして、人生の終わり近く、1日の大半を窓の外を眺めたり、とろとろと眠ったりして穏やかに過ごしているのだろうと思った。
まだ、私が判別はできるのだろう。ありがとうを何べんも言ってくれる。どこから来たの?いつ来たの?と繰り返す。
母に会いにまた、伊豆高原へ行こう。今年は桜がまだ、少ししか咲いていなかったが、来年また、行こうと思っている。
おまけに何の連絡もなく、待てど暮らせどおじさんが帰宅せず。送別会に出席するといって夕方留守電があったきりで中途半端な態勢で待つことに。
2時までは階下で転寝をしていたのだが、2階へ。門扉の開く音を聞いたような…今朝、隣にいたのでたぶん明け方帰宅したのだろう。以前も喧嘩の仲裁をしていて、帰りそびれビジネスホテルに泊まってきたなんてこともあったっけ。
3年ぶりに二人揃って母のいるグループホームを訪ねたが、22日は四国も悪天候だったとか。伊豆高原も嵐で、昼からは吹きなぐりの暴風雨で一歩も外へ出られず、野球を観たり、相撲を見たりして部屋から出ることもなく、母はこうして、人生の終わり近く、1日の大半を窓の外を眺めたり、とろとろと眠ったりして穏やかに過ごしているのだろうと思った。
まだ、私が判別はできるのだろう。ありがとうを何べんも言ってくれる。どこから来たの?いつ来たの?と繰り返す。
母に会いにまた、伊豆高原へ行こう。今年は桜がまだ、少ししか咲いていなかったが、来年また、行こうと思っている。