2016年06月03日
2016年06月03日
6月3日 丸亀教会起工式②
起工式に参列するために、9時50分頃、家を出た。車中のテレビのニュースで北海道で父親から
山中に置き去りにされた7歳男児が、駒ケ岳山麓の自衛隊の施設内で見つかって無事だ、と報じられていた。
よかった、という安堵の気持ちと、これから暫くマスコミの報道材料になるのだろう、という危惧や、
これから後の親子関係の修復に費やされるエネルギーを思う。私も悪戯をしたときの、子どもの叱り方
対し方を反省することが振り返っても多いと痛感する。
子どもがお稽古事をしていたとき、大抵時間に追われていて、車でお稽古場へ送って、さっと降ろして帰宅していた。
いつもの曜日・時間、練習があるものと思い込んで待たずに発進。子どもが車を追いかけたときには
既に走り去った後。置き去りにされた子どもは機転をきかして、いつも放課後預けられていた教会
まで歩いて行き、電話をかけてきた。「お母さん、ヘンゼルとグレーテルのお話みたいだった。」と。
それから、暫くはお稽古があることを確認してから置き去りにせず帰ったし、10円玉を持たせたような・・
まだ、携帯電話もスマホも普及していない20年以上も前のエピソードである。
更地になった教会に、工務店が用意してくださったテントと椅子。風が吹いていて日陰は涼しかった。
「起工式」は10時半から行われ、定礎式の式文が読まれ、聖書の箇所と讃美歌を歌い、祈りを捧げ
30分程で終わった。役員以外にも何人か来られていて、三谷牧師も出席され、工務店の方や設計を
お願いした設計事務所の方も来てくださって20人ほどで厳かに執り行われた。
11月30日の完成を目指して、1人のけが人も出ず、アクシデントもないように無事完成することを
祈って、毎週の多度津教会での午後の礼拝を守っていきたいと思っている。
山中に置き去りにされた7歳男児が、駒ケ岳山麓の自衛隊の施設内で見つかって無事だ、と報じられていた。
よかった、という安堵の気持ちと、これから暫くマスコミの報道材料になるのだろう、という危惧や、
これから後の親子関係の修復に費やされるエネルギーを思う。私も悪戯をしたときの、子どもの叱り方
対し方を反省することが振り返っても多いと痛感する。
子どもがお稽古事をしていたとき、大抵時間に追われていて、車でお稽古場へ送って、さっと降ろして帰宅していた。
いつもの曜日・時間、練習があるものと思い込んで待たずに発進。子どもが車を追いかけたときには
既に走り去った後。置き去りにされた子どもは機転をきかして、いつも放課後預けられていた教会
まで歩いて行き、電話をかけてきた。「お母さん、ヘンゼルとグレーテルのお話みたいだった。」と。
それから、暫くはお稽古があることを確認してから置き去りにせず帰ったし、10円玉を持たせたような・・
まだ、携帯電話もスマホも普及していない20年以上も前のエピソードである。
更地になった教会に、工務店が用意してくださったテントと椅子。風が吹いていて日陰は涼しかった。
「起工式」は10時半から行われ、定礎式の式文が読まれ、聖書の箇所と讃美歌を歌い、祈りを捧げ
30分程で終わった。役員以外にも何人か来られていて、三谷牧師も出席され、工務店の方や設計を
お願いした設計事務所の方も来てくださって20人ほどで厳かに執り行われた。
11月30日の完成を目指して、1人のけが人も出ず、アクシデントもないように無事完成することを
祈って、毎週の多度津教会での午後の礼拝を守っていきたいと思っている。

2016年06月03日
6月3日 教会起工式
少し肌寒い朝、気温は20度を下回っている。
晴れてよかった。
今日は、丸亀教会の起工式。待ちに待った礼拝堂・牧師館の鍬入れのセレモニーが行われる。
日本の風習から行くと、「地鎮祭」なのだろうが、信徒の交わりの場であるわけだから、祈りと
讃美歌を歌って行われるのだろうと思う。
午後から写真も掲載して起工式の様子を書きたいと思っている。素直に嬉しい。
新しい教会会堂が与えられること、そこで礼拝が守れることが。
2人の子ども達が幼児祝福式を受け、、結婚式を挙げ、孫も祝福式を受けた。
新しい礼拝堂が出来て、そこでまた家族が揃うのは私達のどちらかの葬儀かもしれないが、
今はその時の事を考えるよりは、新しい礼拝堂を帰省して訪ねる機会を持ってほしいと祈っている。
晴れてよかった。

今日は、丸亀教会の起工式。待ちに待った礼拝堂・牧師館の鍬入れのセレモニーが行われる。
日本の風習から行くと、「地鎮祭」なのだろうが、信徒の交わりの場であるわけだから、祈りと
讃美歌を歌って行われるのだろうと思う。
午後から写真も掲載して起工式の様子を書きたいと思っている。素直に嬉しい。
新しい教会会堂が与えられること、そこで礼拝が守れることが。
2人の子ども達が幼児祝福式を受け、、結婚式を挙げ、孫も祝福式を受けた。
新しい礼拝堂が出来て、そこでまた家族が揃うのは私達のどちらかの葬儀かもしれないが、
今はその時の事を考えるよりは、新しい礼拝堂を帰省して訪ねる機会を持ってほしいと祈っている。